そのカレー、食べなきゃダメですか?
差し迫った仕事があると、なぜか違うことをしたくなって困ってしまうsabi-seijiです。
人の感じ方や考えというのは、様々あり面白いものです。同じ場面でも全く違う感じ方をしているのだな。と思ったできごとがありました。
秋も深まり、文化祭の季節がやってきました。
娘たちの中学校でも文化祭が行われたのですが、PTAの恒例行事としてしているのが「カレーの模擬店」です。
今回私は、はじめての役員にあたっていたため、反省会に出席していました。
Aさん:カレーの売れ行きはどうでしたか?
私:良かったですよ〜。おいしいと好評でしたし、生徒たちもたくさん購入してくれました。
Aさん:先生、購入していない生徒はどのくらいいたのですか?
先生:9割の生徒は購入していますが、1割の生徒は購入していません。
当日の混雑を避けるため、生徒たちには前売り券を発行しています。当日券は準備していないため、生徒の購入数は学校側で正確に答えられるのです。
Aさん:1割の生徒が購入していない理由は?カレーが嫌いなのでしょうか?
先生:お弁当やパンを持参していましたよ。
どうやらAさんは、その結果に満足していないようでした。というのもその後、どうすれば全員が購入してくれるか、他の役員さんたちに問いかけていたからです。
へ????
生徒がカレーを購入するもしないも、その子の自由だと思っていた私は、少々面食らってしまいました。たまたまカレーの気分じゃなかったんじゃ?サンドイッチ食べたい子もいるだろうし、なんならチケット買い忘れてるだけかも?
よくよく聞くと、今年はじめて役員になった私は知らなかったのですが、カレーの売り上げがPTAの活動費にあてられているとのことで、できるだけ保護者も生徒も協力して欲しいと考えているとのことでした。
ああ、なるほど…
それにしても、昼食は好きなもの食べてもいいんじゃない?
と、新参者の私なぞは思ってしまうのですが、そこはグッとこらえて会議は終了しました。
人の思いというのは様々あるものですね。思いもしない意見が聞けて驚きとともに新鮮な気持ちになりました。
来年は作る方じゃなく、カレーを買って売り上げに協力しますから、カレー食べない子を許してあげてくださいな。
「当たり前のことを当たり前にやる」 呪縛に囚われた娘
ここ一年、忙しくて髪をカットしていないsabi-seijiです。ヤバイ…
さて、気を取り直して。
「当たり前のことを当たり前にやる」
ワシャ子が小学校6年生のときに行われた、中学校のオープンスクールの冒頭、当時の校長先生が、この言葉を黒板に書いて力強くこう言いました。
「この言葉が、わが中学校の目標です。」
みなさんの考える「当たり前のこと」とは何でしょう?
毎日学校へ通うこと?
宿題を期限までに提出すること?
部活に打ち込むこと?
友達と仲良くすること?
忘れ物をしないこと?
毎日のスケジュール管理を自分ですること?
私にはわかりません。
なぜなら、
私の当たり前は、他の人にとっての当たり前ではないから。
私の体力や知識や環境は、あなたのそれと同じではないからです。
「当たり前のこと」は何が基準になるのでしょう?
他の同級生たちでしょうか。
校則?
それとも一般常識?
考えれば考えるほどわからなくなってきます。
「 当たり前のこと」を当たり前にできない人はどうなるのでしょう。
学校へ行けていない、宿題も提出していないワシャ子は、どれもこなせていません。「当たり前のことを当たり前にやる」ことが目標の学校に、当たり前にできない子供の居場所はあるのでしょうか。
「学校は白くて明るい監獄」
ワシャ子の放った言葉を聞いた時、学校の見えない壁がうっすらと私にも見えた気がしました。
その言葉は、校長先生にとっての理想だったのかもしれませんし、たまたま口にした、ただのスローガンだったのかもしれません。
教育熱心な先生たちの目標は、ワシャ子にとって、いささか高すぎ、重荷だったのでしょう。
でもね〜、
努力しても、努力してもダメ出しされ、高すぎる目標を掲げる会社で、毎日毎日不安を煽られれば、大人だってヤル気も削がれるし、逃げ出したくもなります。
「そんなブラック企業、転職しちゃいな!」
とマツコさん風につっこむことでしょう。
人は万能ではありません。
個人差があり、得手不得手があってこその多様性です。
成長のスピードも習熟度に違いがあるのも、その子の個性です。
学校は「ブラック企業で命や人生をかけて働ける人」を育てるところではありません。その子に合った道が見つけられれば、それもいいかなあ、と最近考えるようになりました。
だって…
「当たり前のことを当たり前にやる」って…
そもそも私ができとらん…(遠い目)
不登校と卒業アルバム〜買う?撮影は?業者目線で考える〜
アルバムの編集作業に追われている一業者sabi-seijiです。
中学3年生のワシャ子さんは、少しずつ学校へ向かうことができるようになり、お昼前には教室へ入れるようになっています。ただ、学校の見えない壁は未だ感じるらしく「見た目は白くて明るい監獄」(校舎が白いため)と表現しています。
freestocks-photosによるPixabayからの画像
令和の卒業アルバム事情
かつて私が学生だった昭和の時代、卒業アルバムは学校から業者へ生徒人数分注文されていました。そう、無条件で全員購入だったのです。
ところが近年、島の学校でも不登校の子が増えてきました。となると、
「わが子が写っていないのに、バカ高い卒業アルバムを買う必要はあるの?」
という意見が出てくるのです。
同じ保護者として、ごもっともな意見だと思います。
卒業アルバムはどうして高額なの?
・プロカメラマンによる年間を通した撮影が必要
・少人数になるほど少ロットとなり、印刷単価が上がる
・1冊でも100冊でも編集の手間は変わらないから
・年月に耐えられる製本のため
というのが主な理由です。
まず、撮影をプロが請け負う場合、撮影スケジュールは業者の自由にはなりませんし、運動会や修学旅行など長時間におよぶ撮影が多く、それだけ人件費がかかります。
卒業アルバムの注文冊数は少子化に伴って減少の一途をたどっています。
次に、印刷代金は注文冊数によって変わってきます。これは、ロットによって印刷方法が変わるためです。
最後に、編集にかかる経費の問題です。その手間は冊数に関係なく、写真の選定に始まり、配置やデザインなど、パソコンを使った作業になります。写真の選定は、写っている子供に偏りがないよう注意しなくてはなりませんし、場合によっては修正が必要になる場合もあります。
デザインに合わせたレイアウトを選択したり、文字を入れ込んだりといった作業の後、データの入稿という手順で行います。
卒業アルバムを安く作りたい場合、撮影の部分や編集作業を学校や保護者会で行い、印刷のみ業者に注文する方法があります。
しかし、一度でもその役を引き受けたことのある人ならばわかることですが、編集作業はとても手間のかかる作業である上、
・写っている枚数が少ない
・写真の表情が気に入らない
と言った苦情やトラブルにも対処しなくてはいけません。
そうしたアルバムにかかる必要経費を人数割にすると、必然的に注文が少ないほど割高になるのです。ゆえに1学年が数百人のマンモス校はさておき、おおむね高額。
業者さんを交えて相談するのがベスト
島の写真館であるわが家の場合、娘が不登校ということもあり、できる限り柔軟に対応しています。例えば、個人写真撮影については、
・個人写真撮影は学校ではなく、お店に出向いてもらう
・お店に来られない場合、出張撮影もOK
・制服を着ることに抵抗がある場合、要望があれば合成も
お子さんの心の状態に応じて、どういった状況ならば撮影OKか?といったことを1番に考えています。
最近多いのが、
「デジタルだから簡単に合成できるでしょう?集合写真は欠席者枠(写真の右上に作る四角い枠)じゃなくて合成できるんじゃないですか?」
という相談です。このことに関しては、できなくはないけれど、できればしたくない。というのが本音です。
いちから創り出す画像とは違い、既存の画像に自然な形で、人間をはめ込むためには、撮影する際、はめ込みをするベストな立ち位置や天候、光のあたり具合、影の入り具合など、細かな条件を想定してそろえる必要があるからです。
想像する以上に大変な作業とご理解ください。その上で、料金の範囲内で合成しましょうか?と提案する、きとくな業者さんもおりますので、ご相談くださればと思います。
また、「休みがちだけれど、行事によっては参加できていたため購入したい」といった方には、
・参加できた行事の写真を多めに載せることで、アルバム全体に掲載される写真点数を調整する
といった対応もしています。
しかしこれも、少人数で子供たちの顔を見知っている島の学校と写真館であることからできる対応ですので、一般的ではないかもしれません。
しかし、まずは業者を交えての相談をしてみることをおすすめいたします。学校の先生の中には「みんなで」という思いが強い先生もいらっしゃることから、業者さんにできること、できないことを直接聞いてみるのも、ひとつの方法ではないでしょうか。
ちなみに業者である家に生まれたワシャ子は、親の手前もあり、アルバムに使う写真撮影や主だった行事には極力参加してくれています。
まとめ ぶっちゃけ、わが子の写っていない高額な卒業アルバムを購入する必要ある?
業者の私が言うのもなんですが、まったく学校へ向かえていない場合、購入の必要はないのでは?と思います。
買っていただけるとありがたくはありますが…
卒業アルバムを見て、悲しくなったり、虚しくなるくらいなら購入しなくても良いと個人に思います。目にすることで心身に影響が出てしまうことは、作製業者としても本意ではありません。その分、美味しいもの食べたり、元気が出ることにお金を使う方がよっぽど有効です。
撮影をどうする?
購入は ?
といった圧を、学校の先生から感じた方もいるかもしれません。アルバムの写真撮影は締め切りもあることから、長く待てない場合があります。
最高学年になる前に親子で話し合い、新学年が始まる時には購入予定を担任の先生にお伝えしておくと良いと思います。
購入しないことを選択した場合、
・個人写真のページ用の写真撮影をする(載せる)かどうか
・集合写真や行事ページに写っている場合、掲載を了承するかどうか
・卒業アルバムを配布する方法やタイミングをどうするか
(卒業式の後、ホームルームなどで配布することが多いため、式には出席したけれどアルバムは購入していないといった場合、配慮が必要なことがあります。)
といったことも合わせて相談しておきましょう。
高校卒業前に不登校になってしまい、アルバムを購入しないことを決めた子が、数年後に「アルバムが欲しい」と問い合わせてきたこともありました。
卒業アルバムには個人情報が詰まっているため、アルバムの在庫はないのですが、せっかく勇気を出して連絡してきたくれた彼女のため、お店保存用のアルバムを譲ったことがあります。
理由をたずねたところ、
「卒業後に出会ったバンド仲間と学校の話になった時、自分の在籍していた学校を説明するのに困ったから。」(立地が島ということでインパクトが強いらしく、手っ取り早く写真を見せて言われることが多いらしい。)
とのことでした。
アルバムを開いて、懐かしく思ったり、喜んでくれると作製した側も嬉しいものです。
とはいえ、思い出は子供自身のもの。外野はとやかく言わないよう、業者さんは子供たちの判断を見守り、尊重したいと思います。
学校へ行けない子供と学校行事 母が落ちたダークサイド
文化祭の季節、不登校の子供を抱える保護者さんにとっては何かとツライ時期だな、と過去を振り返って思うsabi-seijiです。
なぜなら、2年前のわが子は体調も心も絶不調。
文化祭には参加できそうもありませんでした。先生は、
「当日、体調が良ければ見に来てね。」
と誘ってくれましたが、
自分は練習に参加できない…
みんなは学校へ行って楽しく過ごしているのに、自分はできない…
なぜ自分の足は学校を前にすると止まってしまうのだろう、これから自分はどうなるのだろう…
と落ち込んでいる長女(ワシャ子)は、クラスメイトの活躍を見に行くことはできませんでした。
私は係の仕事があったため学校へ行きましたが、なんとも複雑な心境で、その場に居場所が見つけられないまま過ごしていました。
本当だったら、一緒に文化祭の舞台に立って発表していたのだろうな…
でもわが子はこの場にいない。
学校へ来れるようになっているかもしれないと思い
係を受けてみたものの
やっぱりダメだった。
一生懸命な子供の姿を嬉しそうにみている保護者さん
なんて羨ましいのだろう。
なんて輝いているのだろう。
なんのために私はここにいるのだろう。
居場所がない…
受けなきゃいいのに、無理して受けた係の仕事に追い詰められ、私は落ち込んでいました。
期待という名のプレッシャーをワシャ子に与え続け、子供のためと言いながら、かいがいしくサポートする姿は、結果的にワシャ子を追い詰めていただけだったのです。
期待する→思い通りにいかなくて腹を立てる→効果がなくてがっかりする→そして懲りずにまた期待する…
という悪循環を、この後数ヶ月間にわたって繰り返していたのです。
なんじゃこりゃ!!!不毛すぎる!!!
次女も不登校に?原因がいっぱいありすぎて絞れない件
次女、ジジ子の欠席が慢性化しつつある我が家からsabi-seijiがお届けします。次女のジジ子はここ10日間学校へむかえていません。そこで、学校へ向かえない理由を考えてみました。
ただし、本人にもはっきりとは理由はわからないのであくまでも状況から考えた推測で、ボンヤリとした感じです。
不登校と自律神経の不調
自律神経に不調が出てきたからことが原因では?
ジジ子は主に朝起き上がれない、元気がないという症状です。
自律神経の不調は年齢に関係なく起こります。というのも、更年期の入り口にいる母(私)もそうだから。そして、生理前に調子が悪くなるというのも自律神経が関わっているのではないかと思います。
結果、学校へ行けずに欠席。まあ、ありえます。
不登校と睡眠障害
睡眠障害が原因では?
ジジ子の症状は主に「過眠」です。
寝ても寝てもまた寝ている。朝はとりあえず8時頃には起きて朝食をモサモサと食べ、そのまま布団に倒れて昼寝。夜は夜でまた寝る。これを3日ほど繰り返すと1日は朝から活動できる。というサイクルでこの1ヶ月は続いています。
寝る子は育つと言いますが、ちょっと寝過ぎですね。
結果、欠席。
不登校と起立性調節障害
起立性調節障害(OD)になったから学校へ向かえなくなった?
これも診断を受けたわけではないのではっきりとは言えません。ただ、日によっては起き上がると気持ちが悪い、フラフラするといった症状があるため、疑わしい節はあります。
学校以外へ出かける日は元気になりますし、朝も起きれますが、それ以外の日は起きるのがツラそうです。
で、欠席…
まとめ 結局心あたりが多すぎて絞りきれない
学校での悩みは色々とあるようで、感覚過敏もあるようです。
「太陽がまぶしい」
「休み時間、同級生の話し声がうるさい」
と言っていました。
ただ、小学校ではこのように言っていたことはないので、思春期のホルモンバランスの崩れによる体調不良と反抗期のイライラのダブル?トリプル?パンチでさまざまな症状が悪化しているためではないかと思います。
特に、朝起きれないことに理解の無い夫に対する反抗はかなりのもので、エネルギーがもったいないくらいに反抗しています。
姉妹で性格が違うためか、抱えている不調が大きいためかは不明ですが、同じ不登校でもジジ子の場合は休むことに前向きで、罪悪感は少なめです。ただ、長期化した場合、気持ちがどのように変化するのかは未知数です。
先に述べた要因は、どれもお互いに影響しあっているように思えます。
心と体はお互いに影響しあっています。今、私にできることは、よく話を聞いて、ゆっくりできる環境を整えてあげるくらいかなあ。
続ける勇気 やめる勇気
年齢は大人、精神は子供、その名もsabi-seijiです。
不登校になると失われるもの
・体力
・話す相手
・生活の変化
・学び
いろいろとありますが、そのどれもがかなり少なくなってしまいます。
不登校の子供は、ただでさえ気力・体力が少なくなっています。すべてを頑張ることに疲れてしまい、学校へ向かう元気が出ないのです。ですので、どれかを選ぶ、もしくは縮小するなどの工夫をしながら、省エネ生活に切り換えることになります。
娘の体力の維持と学校以外の同学年とのふれあいの場を求めて半年…たどり着いたのがABCクッキングと剣道教室への入団でした。
どちらも地元から少し離れたところにあったので、先生や同級生と出会うこともありません。
それから約1年が経過し、現在は…
どちらにも通っていません!
剣道に行く時間になると体が動かなくなり、気分が悪くなる…
ということが続いたので、長期の休みをお願いし、3数ヶ月が経ちました。
先生の計らいで、休団扱いにしてもらい、その間の会費はストップしてもらっているのですが、保護者は鍵当番があります。本人は練習を休んでいる間も鍵当番だけは引き受けていました。
中学3年生は、12月には卒団。
いつまでも宙ぶらりんでは私もしんどい。あと1ヶ月、休団のまま卒団を迎えるか、今、退団の決意を固めるか、本人に確認をしてみました。
娘の選択と自分のエゴ
・小さい頃から剣道をしている同級生の子と自分のレベルが違いすぎる
・体力的についていけない
との理由から、娘の出した結論は退団。
自分で決めることができた娘をほめてあげるべき!でも…
入団するまでにした交渉やかかった手間は?
新たに購入した防具やネームにかかったお金は?
毎回送り迎えするために時間をやりくりした私の苦労は?
私の努力をないがしろにされた思いがして、素直に笑顔で受け止められません。
私の心は狭く自己中です。
今の私を形作っているものは他人の評価
私は習いごとを途中で辞めたことはありません。小学校からはじめた習字もお琴も、高校を卒業し、通うことができなくなるまで続けました。
なぜ?と言われれば、正直なところ、やめる理由も勇気もなかったから、波風立てるくらいならとガマンしていただけです。
先生や他の保護者さんに迷惑かける…
せっかく一生懸命教えてくれているのに…
やっぱり娘は他の子と同じように続けられなかった…
常に自分と他の人、わが子と他の子供を比べてしまうのです。
私は、常に他人の評価が気になるのです。
実際のところは?
娘と一緒に剣道の先生のところへ退団のご報告をするため、練習場へ向かいました。
「何て言ったらいいんだろう?怒られるかな。怖い…」
と娘は悩んでいました。
練習での先生は、とても厳しい方です。話し方はつっけんどんで、笑っているところをあまり見たことがありません。
向かう途中、車の中でも、出てくる言葉はネガティブな言葉ばかりです。きっと剣道を途中で辞めることを先生に咎められると思ったのでしょう。
「先生はきっとそんなことで怒ったりしないよ。(たぶん)」
となだめ、なるべくは自分の言葉で伝えるよう、困ったらサポートするから。と背中を押しました。
娘は言葉に詰まりながらも、きちんと自分で先生に伝えることができました。
先生は、
「わかった。悩んで自分で決めたんだな。きちんと自分で伝えに来てくれたことが、先生はとても嬉しい。高校受験頑張れよ。」
と今までに見たことがない笑顔で、優しく言ってくれました。
まとめ 心配や不安は取り越し苦労
続ける勇気は素晴らしいものですが、場合によっては、やめることの方が良い場合もあります。でも何だか後ろめたくて、言い出すには勇気が必要です。
なぜなら、途中でやめる人が少数となると、人と違う行動をすることになるからです。
しかし、常に人と同じ行動はできません。なぜなら、自分と人とは状況も環境も違うから。
やめることで新しいことにチャレンジできることもある。
相手の反応を勝手に想像し、心配するのは取り越し苦労というものです。まずは勇気を持って伝えることが大切なのだと、剣道の先生は最後に教えてくれたように思います。
先生、短い間でしたが、ありがとうございました。
ホントは先生…
優しい先生だったんですね^^
窓の外から垣間見る彼女の世界
久しぶりの更新となりましたが、生来の筆無精が発動しそうなsabi-seijiです。
ごく最近、主人のいとこが亡くなりました。
彼女は享年42才。
早すぎる訃報に驚きは隠せませんでしたが、心の隅ではどこか想定していたところもありました。というのも、彼女は長年「摂食障害」を患っていたからです。
「自分の居場所」があるという実感が持てず、孤独感や疎外感に苛まれ、耐えがたい寂しさや生きていくことへの恐怖、自己肯定感や自尊心の欠如などの内面のストレスや葛藤をこころで表現し解決するかわりに、食べる・食べないことへのとらわれに転化しながら、心身の機能を障害していく疾患です。
引用:一般社団法人 日本女性心身医学会http://www.jspog.com/general/details_13.html
とあります。しかし、これも私たち親類間の憶測でしかありません。
彼女の家は、私たち夫婦や義母(近所ですが住まいは別)、主人の弟夫婦と同じ地区にあります。彼女の両親(夫の叔父・叔母)は、娘が自宅にいることを公表していませんでしたし、彼女についての問いに、はっきりと答えることはありませんでしたが、チラッと「拒食症」という言葉を口にしたそうです。
都会で生活していた彼女が地元に帰ってきたのは、おそらく10年ほど前と想像されます。その間、親類の誰とも会うことはほとんどありませんでしたが、時折見かけるという情報が耳に入ってきていました。
私自身が彼女には、義父の葬儀や2年前に亡くなった彼女の父親(夫の叔父)のご葬儀やご法事で数回会った程度です。夫の父である義父(7年前に他界)は生前、彼女のことを心配し、弟(夫の叔父)に再三、病院やカウンセリングを勧めていたと聞きました。
私の彼女に対する印象は、出会った頃からかなり痩せていて体を心配するほどでした。
そして彼女の訃報は、じつに特殊な方法で私たちの耳に入ることになります。
私たちが通夜の時間を知ったのは、驚くことに開始2時間前でした。しかも、知らせてくれたのは、私が偶然に回覧板を持って行ったお隣さん。
ご葬儀に対しての「しきたり」は地域で異なるかとは思いますが、近しい親族には通夜や葬儀の案内が亡くなった方の家族から直接あることが常です。
特に主人の家は本家ですので、「しきたり」にこだわらなくなった現代とはいえ、珍しいことでした。主人は彼女と年齢が離れていたため、思い出といっても取り立ててないそうですが、少なくとも彼女を幼い頃から知っていた義母には、知らせがあるものだと思っていました。
事情が事情なだけに、叔母は家族でそっと送り出してあげたかったのでは…
と主人と話しながら義母と共に慌てて通夜の席に駆けつけたところ、なぜか彼女の友人たちが参列している?
??????
えーと…直葬ではなかったみたい…です。
叔母は私たちに彼女のことを隠したかったのか?
ひょっとして忘れてたとか?
田舎だから自然に伝わると思った?
いや、じつは参列しちゃまずかったのかな?
隣で泣いている彼女の友人との温度差を隠しきれず、なんだかお通夜に集中することができないまま時間が過ぎてしまいました。
通夜後の席で叔母は、
「数日前から起き上がれなくなり、病院へ行こうとした矢先に転倒した。ケガをしたものの、救急車を呼ぶのを本人が拒んだため、隣で一緒に寝ていたが、夜中に起きたら息をしていなかったので、救急車を呼んだが間に合わなかった。」
と説明しました。悲しみの渦中にいる叔母に対して、誰もそれ以上、詳しく聞くことはできませんでした。
叔母を責める言葉もあとから聞こえてきましたが、簡単には考えられません。心が安定しない人を家庭に抱えるしんどさは、おそらく経験しなければわからないでしょう。
人に知られたくないという思いも、強くあったのだろうと思います。
おそらく、きっかけは「摂食障害」だったのかもしれませんが、長期化していることを考えると、内臓機能にも精神にも大きく影響をしていたことが想像できます。
そして、わが子とはいえ相手は大人、こちらが望むように簡単には動いてくれない、となると、病院へ行くことさえも難しかったのかもしれません。本人が治療を望まない限り、無理矢理進めたところで親子関係が悪くなるだけです。
かといって、弱っていく人を目の前にして、何もできないのはあまりにも辛いことです。それがわが子ならば、なおのことでしょう。「動くなら今!」というタイミングは必ずあったはずです。
それが叔父や叔母に上手く伝わらなかったことは、残念だとは思いますが、責めることはできません。対応に正解、不正解はありませんし、外からではわからない問題が多いことも知っています。
形は特殊ですが、ひきこもり問題がこんなに身近にあったとは。
あきらめ・停滞・絶望・無力感・死
そんな思いに心と体を絡め取られ、前に進むことができなくなったであろう彼女が、最後にどんな思いで、何を望んで旅立ったのかは誰にもわかりません。
「彼女は生前、ときどき2階の窓から外を眺めていた。」
と近所の人から聞きました。
窓の外からは彼女の気持ちはわかりませんが、今、彼女の心が平穏で安らかであることを心から願っています。