窓の外から垣間見る彼女の世界
久しぶりの更新となりましたが、生来の筆無精が発動しそうなsabi-seijiです。
ごく最近、主人のいとこが亡くなりました。
彼女は享年42才。
早すぎる訃報に驚きは隠せませんでしたが、心の隅ではどこか想定していたところもありました。というのも、彼女は長年「摂食障害」を患っていたからです。
「自分の居場所」があるという実感が持てず、孤独感や疎外感に苛まれ、耐えがたい寂しさや生きていくことへの恐怖、自己肯定感や自尊心の欠如などの内面のストレスや葛藤をこころで表現し解決するかわりに、食べる・食べないことへのとらわれに転化しながら、心身の機能を障害していく疾患です。
引用:一般社団法人 日本女性心身医学会http://www.jspog.com/general/details_13.html
とあります。しかし、これも私たち親類間の憶測でしかありません。
彼女の家は、私たち夫婦や義母(近所ですが住まいは別)、主人の弟夫婦と同じ地区にあります。彼女の両親(夫の叔父・叔母)は、娘が自宅にいることを公表していませんでしたし、彼女についての問いに、はっきりと答えることはありませんでしたが、チラッと「拒食症」という言葉を口にしたそうです。
都会で生活していた彼女が地元に帰ってきたのは、おそらく10年ほど前と想像されます。その間、親類の誰とも会うことはほとんどありませんでしたが、時折見かけるという情報が耳に入ってきていました。
私自身が彼女には、義父の葬儀や2年前に亡くなった彼女の父親(夫の叔父)のご葬儀やご法事で数回会った程度です。夫の父である義父(7年前に他界)は生前、彼女のことを心配し、弟(夫の叔父)に再三、病院やカウンセリングを勧めていたと聞きました。
私の彼女に対する印象は、出会った頃からかなり痩せていて体を心配するほどでした。
そして彼女の訃報は、じつに特殊な方法で私たちの耳に入ることになります。
私たちが通夜の時間を知ったのは、驚くことに開始2時間前でした。しかも、知らせてくれたのは、私が偶然に回覧板を持って行ったお隣さん。
ご葬儀に対しての「しきたり」は地域で異なるかとは思いますが、近しい親族には通夜や葬儀の案内が亡くなった方の家族から直接あることが常です。
特に主人の家は本家ですので、「しきたり」にこだわらなくなった現代とはいえ、珍しいことでした。主人は彼女と年齢が離れていたため、思い出といっても取り立ててないそうですが、少なくとも彼女を幼い頃から知っていた義母には、知らせがあるものだと思っていました。
事情が事情なだけに、叔母は家族でそっと送り出してあげたかったのでは…
と主人と話しながら義母と共に慌てて通夜の席に駆けつけたところ、なぜか彼女の友人たちが参列している?
??????
えーと…直葬ではなかったみたい…です。
叔母は私たちに彼女のことを隠したかったのか?
ひょっとして忘れてたとか?
田舎だから自然に伝わると思った?
いや、じつは参列しちゃまずかったのかな?
隣で泣いている彼女の友人との温度差を隠しきれず、なんだかお通夜に集中することができないまま時間が過ぎてしまいました。
通夜後の席で叔母は、
「数日前から起き上がれなくなり、病院へ行こうとした矢先に転倒した。ケガをしたものの、救急車を呼ぶのを本人が拒んだため、隣で一緒に寝ていたが、夜中に起きたら息をしていなかったので、救急車を呼んだが間に合わなかった。」
と説明しました。悲しみの渦中にいる叔母に対して、誰もそれ以上、詳しく聞くことはできませんでした。
叔母を責める言葉もあとから聞こえてきましたが、簡単には考えられません。心が安定しない人を家庭に抱えるしんどさは、おそらく経験しなければわからないでしょう。
人に知られたくないという思いも、強くあったのだろうと思います。
おそらく、きっかけは「摂食障害」だったのかもしれませんが、長期化していることを考えると、内臓機能にも精神にも大きく影響をしていたことが想像できます。
そして、わが子とはいえ相手は大人、こちらが望むように簡単には動いてくれない、となると、病院へ行くことさえも難しかったのかもしれません。本人が治療を望まない限り、無理矢理進めたところで親子関係が悪くなるだけです。
かといって、弱っていく人を目の前にして、何もできないのはあまりにも辛いことです。それがわが子ならば、なおのことでしょう。「動くなら今!」というタイミングは必ずあったはずです。
それが叔父や叔母に上手く伝わらなかったことは、残念だとは思いますが、責めることはできません。対応に正解、不正解はありませんし、外からではわからない問題が多いことも知っています。
形は特殊ですが、ひきこもり問題がこんなに身近にあったとは。
あきらめ・停滞・絶望・無力感・死
そんな思いに心と体を絡め取られ、前に進むことができなくなったであろう彼女が、最後にどんな思いで、何を望んで旅立ったのかは誰にもわかりません。
「彼女は生前、ときどき2階の窓から外を眺めていた。」
と近所の人から聞きました。
窓の外からは彼女の気持ちはわかりませんが、今、彼女の心が平穏で安らかであることを心から願っています。