つねにふりだし【 起立性調節障害と不登校 】

起立性調節障害から不登校になった娘との日常

「当たり前のことを当たり前にやる」 呪縛に囚われた娘

ここ一年、忙しくて髪をカットしていないsabi-seijiです。ヤバイ…

 

さて、気を取り直して。

 

「当たり前のことを当たり前にやる」

 

ワシャ子が小学校6年生のときに行われた、中学校のオープンスクールの冒頭、当時の校長先生が、この言葉を黒板に書いて力強くこう言いました。

 

「この言葉が、わが中学校の目標です。」

 

 

みなさんの考える「当たり前のこと」とは何でしょう?

 

毎日学校へ通うこと?

宿題を期限までに提出すること?

部活に打ち込むこと?

友達と仲良くすること?

忘れ物をしないこと?

毎日のスケジュール管理を自分ですること?

 

 

 私にはわかりません。

 

なぜなら、

 

私の当たり前は、他の人にとっての当たり前ではないから。

 

私の体力や知識や環境は、あなたのそれと同じではないからです。

 

 

「当たり前のこと」は何が基準になるのでしょう?

 

他の同級生たちでしょうか。

校則?

それとも一般常識?

 

考えれば考えるほどわからなくなってきます。

 

 

 「 当たり前のこと」を当たり前にできない人はどうなるのでしょう。

 

学校へ行けていない、宿題も提出していないワシャ子は、どれもこなせていません。「当たり前のことを当たり前にやる」ことが目標の学校に、当たり前にできない子供の居場所はあるのでしょうか。

 

 

「学校は白くて明るい監獄」

 

 

ワシャ子の放った言葉を聞いた時、学校の見えない壁がうっすらと私にも見えた気がしました。

 

その言葉は、校長先生にとっての理想だったのかもしれませんし、たまたま口にした、ただのスローガンだったのかもしれません。

 

教育熱心な先生たちの目標は、ワシャ子にとって、いささか高すぎ、重荷だったのでしょう。

 

でもね〜、

 

努力しても、努力してもダメ出しされ、高すぎる目標を掲げる会社で、毎日毎日不安を煽られれば、大人だってヤル気も削がれるし、逃げ出したくもなります。

 

「そんなブラック企業、転職しちゃいな!」

 

とマツコさん風につっこむことでしょう。

 

人は万能ではありません。

個人差があり、得手不得手があってこその多様性です。

成長のスピードも習熟度に違いがあるのも、その子の個性です。

 

学校は「ブラック企業で命や人生をかけて働ける人」を育てるところではありません。その子に合った道が見つけられれば、それもいいかなあ、と最近考えるようになりました。

 

だって…

 

「当たり前のことを当たり前にやる」って…

 

そもそも私ができとらん…(遠い目)

 

 

 

 

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