つねにふりだし【 起立性調節障害と不登校 】

起立性調節障害から不登校になった娘との日常

無駄を省こうとする学校の不思議

 

 わたしは仕事で近隣の学校へ行くことが度々あります。

次女ジジ子の通う中学校もそのうちの一つなのですが、中学校の教育では特にこの「無駄」を省いた行動が、強く望まれていると感じることがあります。

 

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無駄とは何?

 

  国語辞典で「無駄」という言葉を調べてみると、「役に立たないこと」とあります。

 

「無駄な話をしない」

「無駄な時間を省こう」

「無駄な行動はしない」

 

このような内容のことが先生たちの言葉から感じ取ることができます。 

では、この無駄なものを省くことの利点は何かというと、

 

「無駄なことに費やしていた時間は、勉強や読書に活用する」

「無駄なことに使っていた体力は部活に活かす」

 

といった具合に、学校に関わることに使うことが求められます。

が、ここで疑問が!

  

はたして人は、休まずに集中し続けることができるのだろうか?

 

わたしたちは、無駄と思われる時間や遊びの中から、創造や発見は見つかるものだと知っていますし、休憩やボーッとする時間がないと、かえって失敗が増えてしまうことも知っています。

 

そのために授業の合間に休み時間が設けられているのですが、10分という短い時間では、授業道具を片付け、教室を移動するのが精一杯です。それは休み時間という名の移動時間なのです。

 

しかも娘の学校では「瞑想の時間」といって、授業開始5分前には着席し、心と呼吸を整える時間が設けられています。

 

 

じゃあ、生徒たちはいつ休むの?

 

 

アイドルなみの分刻みのスケジュールだよ。

ではなぜ、学校の先生たちは無駄を省くよう教育をしているのでしょうか。

私なりに考えてみました。

 

無駄な時間や無駄な体力があると、先生が考える良からぬこと、例えば、遊びやゲームにエネルギーを使うと考えているのではないでしょうか。

あとはそうですね。自由を与えると統制がとれなくなり、先生が苦労するとか?

利点としては、ものごとを要領よくこなすスキルを身につけてほしいという狙いがあるのかもしれません。

 

あくまでも私の想像です。

 

 

sabi-seiji.hatenablog.com

 

  

「休みの日には何をしていますか?」

 

 わたしは撮影の間、モデルさんに話しかけます。

モデルといっても一般の方ですから、子どもだったり大人だったりするのですが、冒頭の質問をすることで、その人の好きなことや興味のあることを伺い知ることができるのです。

 

 

そうすると、緊張していた表情が自然と和らぎ会話が生まれます。また、次の質問につなげることもできます。話をしながら撮影する方が、その人の自然な表情を捉えやすくなるため、いつも同じ質問をするのです。

 

「無駄」と「余暇」

 

学校はこの自由な時間や好きなことをする時間が、とにかく少ないと感じます。

これは社会に出たらありえないことなんですけどね。

仕事はコミュニケーションを取りながら進めるものですし、仕事と余暇のON・OFF を上手に切り替えられる人が評価されます。

 

自由に使える時間を「無駄」とするか「余暇」とするかは捉え方の違いですが、気持ちの上では雲泥の差があります。というのも「無駄」と捉えた場合、そこには必ず「罪悪感」がついてくるのです。

 

「あ〜。今日も時間を無駄に過ごしちまったな〜。」

 

日曜日の夜に思ったことはないでしょうか?でもこれ、

 

「あ〜。今日も余暇を楽しんだな〜。」

 

と思った方がよっぽど心の健康に良いと思いませんか?

 

まとめ 無駄はムダじゃない

 

学校へ向かうことがしんどい娘たちは、二人とも集中力がないわけではありません。

興味のあることについてはむしろ、いつまでも集中していたい、そう、気持ちの切り替えが苦手なのです。

 

学校の求める分刻みのスケジュールの中で、要領よく休憩を取りながら集中し続けることができなかったのだろうと、妙に納得してしまいました。

 

学校の先生方へのお願いです。

「無駄」を省いて集中力を高めるスキルではなく、ON・OFFを切り替えるスキルを目指す教育をお願いしたいと思います。

 

人生、無駄なことなど何ひとつないのだから。

 

ついでに言うと、自由を知ってしまったわたしはもう、あの生活には戻れない…

 

 

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