つねにふりだし【 起立性調節障害と不登校 】

起立性調節障害から不登校になった娘との日常

「みんな仲良く」は無理ゲーか

先日、あるお母さんとお話しをする機会がありました。彼女の息子さんは小学3年生、我が家の次女と同じ小学校へ通っています。

 

そこで話題になったのが、「みんな仲良く」が求められる、学校という逃げ場のない人間関係についてでした。

 

同級生が十数人しかいない少規模学校の「性格の合わない子がいたらどうする?」といった話です。

 

大人同士だと「表面的には合わせて、心の健康が保てる距離を取る」というワザが使えるのですが、子どもには難しいですね。

 

しかも、人数が多ければ「他に自分に合う仲良しグループを探す」という方法もあるのですが、学年に十数人しかいない学校ではそうもいきません。

 

成長するに従って、男子と女子は別れて遊ぶようになります。(我が家の子供たちは、どちらも男の子としか遊ばない)女子に特有の面倒見の良さが、男子によっては「口うるさく」感じられるようになるからです。ということは、性別で分けると同級生でも遊べるのは数人、ということになってしまいます。

 

その数人の中でトラブルが発生してしまうと、少人数であればあるほど逃げ場がなくなります。大人数の「みんな仲良く」と十数人の「みんな仲良く」のレベルは同じではありません。

 

毎日毎日、狭い空間で、苦手な子と付き合うのはツラいと思います。アプローチの仕方は様々ですが、極度の「かまってちゃん」の場合「遊びのルールは守らないけど、一緒に遊んで欲しい」といった理不尽極まりない要求をします。周りの子を振り回すだけ振り回して、場を乱すことがあるのです。

 

さらに、その子の要求を受け入れないと「仲間はずれにされた…」となるわけです。

 

そして、おおむねそういう子は、ひとりで過ごす楽しみ方を知らない、孤独に耐えられないタイプの子です。 

 

子どもたちは保育所から同じメンバーですから、その子がどういう性格か、学校の先生よりもよく知っています。

 

遊ぶルールが守れない子でも、他のことで頑張りが見られる子や、できないことを素直に認める子に対しては、もちろん子供たちは寛容です。

 

しかし、何度注意しても、ほかの子の善意を利用しようとする行動に対しては、正義感の強い子ほど引っかかり、見逃すことができないのです。

 

時々ガツンと言うと、言われた子は当然凹み、「みんな仲良く」を目指している学校の先生からは「仲間はずれ」を解消するために両方が注意され、最終的に「仲間に入れてあげなさい」となることが往々にしてあります。

 

保育園の頃から、決まったメンバー中でこれが繰り返されると、先生からの「許してあげて」の言葉を上手く受け入れられる「適応能力の高い子」(女の子に多い)は良いのですが、何事も真正面から捉えてしまってその度にぶつかってしまう「不器用な子」ほど、その先数年間、変わらないメンバーで過ごさなくてはならないことに失望し、やる気を無くすのです。

 

そりゃそうだ…

 

数年すれば、子供たちは大人数の社会へ出ることができます。しかし、子供と大人では時間の感じ方が違うため、大人にとっての「ほんの数年」が「それはそれは長い年月」に感じられることでしょう。

 

 「みんな仲良く」はBestではありますが、性格や感覚は人ぞれぞれ違うため、難しいことです。

 

ただ、相手との違いを理解したり、受け入れようと努力することは大切なことです。一方で自分の許容を超えた相手ならば、少人数でも事態が変わるまで一度離れる選択があっても良いのでは?とも思います。

 

これは「仲間はずれ」になるの?

 

少人数だと、距離を置くと選択した子が数人いただけで、悪意はなくとも「仲間はずれ」の構造になっちゃうんですね。

 

「みんな仲良くなってる学年も稀にあるけど、ほぼ無理ゲーでは?」と悩みを共有したお話でした。

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