つねにふりだし【 起立性調節障害と不登校 】

起立性調節障害から不登校になった娘との日常

不登校と奨学金〜その1〜【奨学金の願書に不登校って書くの?】

幸せはお金では買えないわ✨

 

と純情を貫きたいところですが、歳を重ねるごとに「お金がないとできないことも多い現実」を知った、汚れちまったsabi-seijiです。

 

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 Bruno /GermanyによるPixabayからの画像

 

さて、以前より課題となっておりました不登校の子供が、無謀にも無利子の「第一種奨学金を借りることができるのか、チャレンジしている途中経過をお届けしたいと思います。

 

もう一度、わが県の奨学金の条件を整理してみましょう。

 

 

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わが県の奨学金の出願資格と選考基準

 

■出願資格

 

長いので省略意しますが、平たく言うと「県内の進学希望者に貸すけど、重ねて受けることができない奨学金もあるから気をつけてね。」ということです。

 

県によって違いがあるとは思いますが、こちらは問題なくクリアしています。(高校でも不登校になる可能性はなくはないですが、今のところは大丈夫です。)

 

では何が問題なのかというと、この次にある「選考基準」です。

 

■選考基準

 

1. 人物、健康及び学力の基準

次のいずれかに該当し、学習に対する意欲や生活態度に優れ、進学先の学校の卒業が可能と認められること。

(ア)学習成績が優秀な者(学習成績の評定平均値が3.5以上の者)

(イ)スポーツ・文化活動における実績のある者

(ウ)学校内外の活動においてリーダーとして活躍した者

(エ)学校内外の活動において他者への貢献が認められる者

(オ)特定分野への興味・関心が高く、将来の活躍が期待できる者

 

2. 家計基準

家計支持者の年間所得金額の合計が基準値以下であり、就学困難な経済状態にあると認められること。

 

わが家の場合、家計基準はクリアしているのですが(それもどうかとは思いますがここはあえて…)成績優秀でもなく健康優良児でもない、起立性調節障害不登校のワシャ子が自信を持って推せるのは唯一(オ)の将来性です。

 

ということは…

 

願書の家庭事情の部分に、どれだけ熱意を込めれるかが勝負なのでは?

 

と考え、少ない文字数でワシャ子が実際に書いて提出した文章がこちらです。

 

望み薄な奨学金へのチャレンジ 〜不登校家庭の事情欄記入例〜

 

私は、人の考えを理解しようと努めています。

人にはそれぞれ違った考えがあり、自分が良かれと思ったことでも相手が必ず喜ぶとは限らない、という経験をしたからです。

それから私は対話することの大切さを学びました。

今、海外から移住した方たちと英語で対話することで、よりたくさんの考えを知ろうと努力しています。

高校では実践的なコミュニケーション英語を学び、いろいろな人と出会うことで多様な価値観を知り、共感する力を養いたいと考えています。

体調を崩し、学校へ通えなかった期間があるため、サポート体制の整った他県の私立高校への進学を決めました。

自宅を離れ、寮に入る必要があるのですが、寮費月額 55,000円の他、毎月定められている帰省のための交通費を賄うことが困難であるため、奨学金による支援をお願いいたします。 (342文字)

 

 

わが子ながら、なかなかの文章力だと思います。

親バカなのはご容赦ください。

願書は所属する中学校からの提出となるため、まずは学校へ提出して記入漏れがないかなどをチェックしてもらいました。その際、

 

「先生から家庭事情欄を添削された。」

 

と、ワシャ子が書類を持ち帰ってきたのです。その添削がこちら。

 

私は、高校では実践的なコミュニケーション英語を学び、いろいろな人と出会うこことで多様な価値観を知り、共感する力を養いたいと考えています。

県外の私立高校への進学のため、寮での生活となり、寮費、教材費の他、生活費など支出が増え、経済的に負担が増えます。

奨学金を借りて高校生活を頑張りたいと思っていますので、支援をよろしくお願いします。(165文字)

 

 

ずいぶんとあっさりとした文章になりました。

「文字数が多いと読むのが大変だし、不登校だったということは書かない方が印象が良いのでは?」との先生の言葉に、「不登校は印象が悪い」と遠回しに言われた気がして、違和感を覚えてしまいました。

 

ワシャ子が自分の言葉で自分の将来を述べた文章に、先生とはいえ、他人が手を加えることに抵抗がありましたので、失礼ながら添削前の文章で提出してもらうよう、学校にお願いしました。

 

自分の言葉で挑んだ結果の不採用だったならば素直に受け止められるのですが、先生の考えた文章で採用されなかった場合、私もワシャ子も納得ができず、後悔するだろうと考えたからです。

 

さてさて、結果はどうなる?その話はまた後ほど…


長文をお読みくださりありがとうございました。

 

 

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わたしが不登校とひきかえに得たもの 子どもの笑顔と親の成長

いつもこのブログとsabi-seijiにお付き合いくださりありがとうございます。

 

さて、長女が不登校になってからというもの、私はネットで不登校関連の記事をチェックすることが多くなりました。

 

不登校を扱った教育関係のサイト

不登校を扱った心理カウンセラーのサイト

発達障害を扱ったサイト

起立性調節障害(OD)を扱ったサイト

・過去に不登校だった当事者さんのブログ

不登校の保護者さんのブログ

 

などなど。

 

それらの中から、不登校やODを抱えた娘への対処方法をGETしたかったのです。あとは、保護者さんたちと画面を通して(勝手に)共感したかったから。

 

とにかく、娘も家族も苦しかったので、現状と精神状態を早く変えたいと思っていたからです。

 

  共感できた記事が多かったサイト

 

あくまでもわたし個人の意見ですが、一番共感できたのは、やはり同じ立場である不登校の保護者さんのブログ」です。

 

不登校まっただ中の記事から、過去の振り返りの記事まで、段階は様々ですが、抜け出すまでの心の保ち方や気分転換の工夫、といった記事にはほんとうに励まされました。

 

記事を読んでいく中で感じたことは、親と本人が不登校を受け入れられるまでどのくらいの時間がかかるか、によって回復までの期間が変わるということです。

 

親がいくらあっけらかんとしていても、当の本人が気持ちを切り替えるには、やはりそれなりの時間が必要ですし、逆に親の方が認められない場合もあります。

 

不登校を受け入れることが難しかったのはなぜ?

 

・学力や体力が低下し、他の子より遅れてしまうのでは?

・集団行動が取れない、自分勝手な子になってしまうのでは?

・我慢ができない、わがままな子になってしまうのではないか?

・すぐに諦めて投げ出してしまう、忍耐力のない子に育ってしまうのでは?

 

といったネガティブな考えが、私の中に強くあったため、娘のことを認めてあげたいと頭ではわかっていても、なかなか価値観を変えることができませんでした。

 

登校とひきかえに得られるもの

 

親が簡単に子供のわがままに振り回されてどうするの?

 

かつての私がそうだったように、親の責任を疑ったり、しつけの問題と考える人がいます。

 

しかし実際には、子供の不登校を認めざるをえない場合もある、ということを知ってほしいと思います。

 

不登校児の親たちが学校へ行くこととひきかえに得られるものは、子どもたちの笑顔や心の健康です。

 

子どもの心が壊れていくことと、無理をして登校をすること。あなたならば、どちらを選びますか?

 

世間の人や学校の先生は子どもの将来に責任を持ってはくれません。守るべきはどちらか考えた結果、親は子どもに学校を休むことを勧めるのです。

 

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不登校をぬけ出しつつある娘の変化

 

学校へ行かなかったこの2年間で長女ワシャ子はどのように変化したでしょうか。

 

以前は、自分のネガティブな気持ちを言葉で伝えることが少なかったワシャ子ですが、このところ言葉で伝えてくれるようになりました。

 

親や学校の先生に対して、反抗的な言葉を口にすることはいけないことだと言い含めて育ててしまったので、必要以上にガマンさせてしまっていたのかなと反省しています。

 

学校のシステムや大人の理不尽な要求(親も含む)に対して納得することができず、心をすり減らし、結果として身動きがとれなくなってしまう。というワシャ子の特性に早く気がついてあげればよかったと思っています。

 

遅くなってゴメンよ、これから挽回するからね。

 

学校で先生に納得いかないことを言われても、なんとか受け流すことができるようになってきたことにはワシャ子の成長を感じます。

 

まとめ 不登校に向き合って親子の関係は変化した

 

ワシャ子に確認をしてはいませんので、あくまで私が感じることです。以前は子どもだからと高を括って口うるさくポンポンと発言していた私でしたが、不登校を経験したことにより、ワシャ子の心の動きと行動がどのように結びついているのか、を考えるようになりました。

 

結果、私も少し子育てスキルがアップしたように感じます。すご〜くちょっとですけどね…(汗)

 

子育てとは、悩み、試しては失敗することの繰り返しなのですね。きっと娘が不登校にならなければ気がつかなかっただろうと思います。

 

ワシャ子の受験がひと段落したら、不登校を引継ぎそうなジジ子の環境づくりに取りかかりたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

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不登校の子どもと保護者に「思いやり」を

ここ何年か「年末の大掃除で疲れない」を心がけて自分に言い訳しているsabi-seijiです。

 

さて、今回は長女ワシャ子の同級生のお話です。小さな頃から男の子と遊んで育ったワシャ子ですが、数ヶ月前から幼なじみのうちの1人であるS君がワシャ子同様、起立性調節障害(OD)と診断され、学校へ通うことができなくなりました。

 

 

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ワシャ子が動けなくなった時、そのお母さん(Aさん)は大変心配してくれ、気にかけてくれていました。

 

私もS君のことが気になりますので、Aさんと出会った時に様子を聞いてみることがあります。

 

Aさんは先日、それまで通院していた遠方の病院に、転院したいと申し出たそうです。ODを持つ子の多くは車酔いが激しく、長時間体を起こしていなくてはいけない、車での長距離移動はツラいのです。

 

紹介先の小児科で大変ショックを受け、落ち込んだとのことを打ち明けてくれました。開口一番、ドクターにこう言われたそうです。

 

起立性調節障害(OD)は気の持ちようだ。学校へ通えないなら、中学校卒業して働きなさい。」

 

なに???

そりゃビックリだ!!!

少しづつ知名度も上がりメディアでも取り上げられ、子どもの心身への理解を深めようとしている人ならば知っていることの多いODを???

 

 

毎日、毎日、学校へ行けない自分を責め、苦しんでいる子供を前にして?

 

気のせい…

 

せめてドクターの口から出た言葉が

 

「体がしんどい中、よく通院してきたね。」

 

と配慮が感じられる言葉だったなら、動かない体を無理やり起こして海を渡り(病院は島外)時間をかけて通院した苦労も報われ、親子とも気持ちが楽になっただろうに…

 

と残念に思いました。

 

「小児科医と言っても、残念ながらODに対して知識や理解がある医師ばかりではないのが現状です。」

 

ワシャ子を診断してくれた小児科医の先生が教えてくれました。

 

そして、おおむね若い世代の小児科医の間では理解があるが、年配で固定概念が強い人ほど難しいとも。

 

はい。何を隠そう、わたしとワシャ子も発達支援センターの相談員である元小児科の先生に「ODは病気ではない。障害なので気の持ちよう」と言われ、同じように落ち込んだ経験があるのです。

 

案の定、S君は

 

「病院なんかもう二度と行くもんか。」

 

となったのだそう。

 

この心ない一言のおかげで、S君の病院やカウンセラーに対してのハードルが一気に上がってしまったことは、残念なことに加えて心配でなりません。そもそも思春期の男の子は、話すことを嫌います。大人と交流することを諦めないでくれたらいいな、と思います。

 

 不登校の子どもたちは、そうした言葉のニュアンスに対してとても敏感です。そうした子どもや親と関わる病院の先生やカウンセラー、学校の先生といった大人たちが心にとめておくべきことは、相手への「思いやり」のある言葉でしょう。

 

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「配慮」というと特別で堅苦しいイメージですが、「思いやり」はもっと気軽で、不登校の子どもだけでなく、いつ、どの子に対してもあっていいものだと思います。

 

今は顔色も悪く、笑う元気がないS君ですが、焦らず、楽しみを見つけて穏やかなお正月が迎えられることを願っています。

 

 

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不登校の子供と家族への対応【簡単に「大丈夫!」って言わないで】

ワシャ子が不登校まっただ中の時、ある人に言われた一言が今でも頭に残っています。

 

「娘さん不登校なの?最近じゃ不登校は珍しいことじゃないし、学校へ行かない選択もあるよね。近頃はサポート体勢も整っているし、大丈夫だよ。

 

うん…

 

と返事をした私は、次の言葉が見つかりませんでした。

 

心に生まれたモヤモヤを、上手に言葉で伝えることができなかったからです。

 

彼女の言っていることは決して間違ってはいません。

 

どの機関の調査においても、近年の不登校児童生徒は増加傾向にあるし、インターネットを開いても、不登校の子供たちが、いかに増えているかを知ることができます。

 

不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。参照:文部科学省 不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)

 

 と、教育機関に対して対応の方向性をきちんと通知したことにより、全国的には学校以外での学びの場を利用できる環境が整い始めたと感じることができます。フリースクールやホームエデュケーションといった言葉を聞く機会も増えてきました。

 

しかし、個人的には不登校支援の環境はまだまだ不十分だと感じています。

 

都市部と地方ではかなりの差があり、先生からの登校圧力は、まだまだ感じることがあるからです。

 

田舎の島では環境も整っているとは言い難いし、意識の違いに差があるのが現実なのです。

 

大丈夫

 

ワシャ子がドン底だった頃、この「大丈夫」に随分と苦しめられました。

 

「大丈夫」は不登校の子供を抱える家族にとっては諸刃の剣。それは「うつ」の人が他人に大丈夫と言われる感覚に似ています。

 

「大丈夫ならばとっくに元気になっているから!でも、それができないから困っているのだし、落ち込んでるの!」「突き放された!」と感じ、わかってもらえないというわだかまりが残るだけ…

 

不登校関連の情報をインターネットで検索すると何度も目にしますが、そのたびに「私は、娘は大丈夫じゃない!」と思っていたことが思い出されます。

 

適応指導教室へは片道2時間。フリースクールやホームエデュケーションを考えた時、対応してくれるところを探すものひと苦労な上、経済的負担は個人持ちなのです。しかも本人が必ずしも利用できるとは限らない。

 

「これで大丈夫と言われても…」と落ち込んでしまうだけでした。

 

確かに不登校でも行ける高校はあるし、通信高校という選択もある。でも、その先は?遅れた勉強や体調を取り戻すのは可能ですが、短期間で取り戻せるものではありません。

 

私たちの何を知ってて、笑顔で大丈夫と言うの?

 

という不信感しかありませんでした。

 

その時の私は、相手の好意を、素直に受け取るだけの心の余裕が、なくなってしまていたのです。不登校って、そのくらい不安で衝撃的なできごとだったのです。

 

 

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そのカレー、食べなきゃダメですか?

差し迫った仕事があると、なぜか違うことをしたくなって困ってしまうsabi-seijiです。

 

人の感じ方や考えというのは、様々あり面白いものです。同じ場面でも全く違う感じ方をしているのだな。と思ったできごとがありました。

 

秋も深まり、文化祭の季節がやってきました。

 

娘たちの中学校でも文化祭が行われたのですが、PTAの恒例行事としてしているのが「カレーの模擬店」です。

 

今回私は、はじめての役員にあたっていたため、反省会に出席していました。

 

Aさん:カレーの売れ行きはどうでしたか?

 

私:良かったですよ〜。おいしいと好評でしたし、生徒たちもたくさん購入してくれました。

 

Aさん:先生、購入していない生徒はどのくらいいたのですか?

 

先生:9割の生徒は購入していますが、1割の生徒は購入していません。

 

当日の混雑を避けるため、生徒たちには前売り券を発行しています。当日券は準備していないため、生徒の購入数は学校側で正確に答えられるのです。

 

Aさん:1割の生徒が購入していない理由は?カレーが嫌いなのでしょうか?

 

先生:お弁当やパンを持参していましたよ。

 

どうやらAさんは、その結果に満足していないようでした。というのもその後、どうすれば全員が購入してくれるか、他の役員さんたちに問いかけていたからです。

 

へ????

 

生徒がカレーを購入するもしないも、その子の自由だと思っていた私は、少々面食らってしまいました。たまたまカレーの気分じゃなかったんじゃ?サンドイッチ食べたい子もいるだろうし、なんならチケット買い忘れてるだけかも?

 

よくよく聞くと、今年はじめて役員になった私は知らなかったのですが、カレーの売り上げがPTAの活動費にあてられているとのことで、できるだけ保護者も生徒も協力して欲しいと考えているとのことでした。

 

ああ、なるほど…

 

それにしても、昼食は好きなもの食べてもいいんじゃない?

 

と、新参者の私なぞは思ってしまうのですが、そこはグッとこらえて会議は終了しました。

 

人の思いというのは様々あるものですね。思いもしない意見が聞けて驚きとともに新鮮な気持ちになりました。

 

来年は作る方じゃなく、カレーを買って売り上げに協力しますから、カレー食べない子を許してあげてくださいな。

「当たり前のことを当たり前にやる」 呪縛に囚われた娘

ここ一年、忙しくて髪をカットしていないsabi-seijiです。ヤバイ…

 

さて、気を取り直して。

 

「当たり前のことを当たり前にやる」

 

ワシャ子が小学校6年生のときに行われた、中学校のオープンスクールの冒頭、当時の校長先生が、この言葉を黒板に書いて力強くこう言いました。

 

「この言葉が、わが中学校の目標です。」

 

 

みなさんの考える「当たり前のこと」とは何でしょう?

 

毎日学校へ通うこと?

宿題を期限までに提出すること?

部活に打ち込むこと?

友達と仲良くすること?

忘れ物をしないこと?

毎日のスケジュール管理を自分ですること?

 

 

 私にはわかりません。

 

なぜなら、

 

私の当たり前は、他の人にとっての当たり前ではないから。

 

私の体力や知識や環境は、あなたのそれと同じではないからです。

 

 

「当たり前のこと」は何が基準になるのでしょう?

 

他の同級生たちでしょうか。

校則?

それとも一般常識?

 

考えれば考えるほどわからなくなってきます。

 

 

 「 当たり前のこと」を当たり前にできない人はどうなるのでしょう。

 

学校へ行けていない、宿題も提出していないワシャ子は、どれもこなせていません。「当たり前のことを当たり前にやる」ことが目標の学校に、当たり前にできない子供の居場所はあるのでしょうか。

 

 

「学校は白くて明るい監獄」

 

 

ワシャ子の放った言葉を聞いた時、学校の見えない壁がうっすらと私にも見えた気がしました。

 

その言葉は、校長先生にとっての理想だったのかもしれませんし、たまたま口にした、ただのスローガンだったのかもしれません。

 

教育熱心な先生たちの目標は、ワシャ子にとって、いささか高すぎ、重荷だったのでしょう。

 

でもね〜、

 

努力しても、努力してもダメ出しされ、高すぎる目標を掲げる会社で、毎日毎日不安を煽られれば、大人だってヤル気も削がれるし、逃げ出したくもなります。

 

「そんなブラック企業、転職しちゃいな!」

 

とマツコさん風につっこむことでしょう。

 

人は万能ではありません。

個人差があり、得手不得手があってこその多様性です。

成長のスピードも習熟度に違いがあるのも、その子の個性です。

 

学校は「ブラック企業で命や人生をかけて働ける人」を育てるところではありません。その子に合った道が見つけられれば、それもいいかなあ、と最近考えるようになりました。

 

だって…

 

「当たり前のことを当たり前にやる」って…

 

そもそも私ができとらん…(遠い目)

 

 

 

 

不登校と卒業アルバム〜買う?撮影は?業者目線で考える〜

アルバムの編集作業に追われている一業者sabi-seijiです。

 

中学3年生のワシャ子さんは、少しずつ学校へ向かうことができるようになり、お昼前には教室へ入れるようになっています。ただ、学校の見えない壁は未だ感じるらしく「見た目は白くて明るい監獄」(校舎が白いため)と表現しています。

 

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freestocks-photosによるPixabayからの画像 
 

 

令和の卒業アルバム事情

 

かつて私が学生だった昭和の時代、卒業アルバムは学校から業者へ生徒人数分注文されていました。そう、無条件で全員購入だったのです。

 

ところが近年、島の学校でも不登校の子が増えてきました。となると、

 

「わが子が写っていないのに、バカ高い卒業アルバムを買う必要はあるの?」

 

という意見が出てくるのです。

 

同じ保護者として、ごもっともな意見だと思います。

 

卒業アルバムはどうして高額なの?

 

・プロカメラマンによる年間を通した撮影が必要

・少人数になるほど少ロットとなり、印刷単価が上がる

・1冊でも100冊でも編集の手間は変わらないから

・年月に耐えられる製本のため

 

というのが主な理由です。

 

まず、撮影をプロが請け負う場合、撮影スケジュールは業者の自由にはなりませんし、運動会や修学旅行など長時間におよぶ撮影が多く、それだけ人件費がかかります。

 

卒業アルバムの注文冊数は少子化に伴って減少の一途をたどっています。

 

次に、印刷代金は注文冊数によって変わってきます。これは、ロットによって印刷方法が変わるためです。

 

 

最後に、編集にかかる経費の問題です。その手間は冊数に関係なく、写真の選定に始まり、配置やデザインなど、パソコンを使った作業になります。写真の選定は、写っている子供に偏りがないよう注意しなくてはなりませんし、場合によっては修正が必要になる場合もあります。

 

デザインに合わせたレイアウトを選択したり、文字を入れ込んだりといった作業の後、データの入稿という手順で行います。

 

卒業アルバムを安く作りたい場合、撮影の部分や編集作業を学校や保護者会で行い、印刷のみ業者に注文する方法があります。

 

しかし、一度でもその役を引き受けたことのある人ならばわかることですが、編集作業はとても手間のかかる作業である上、

 

・写っている枚数が少ない

・写真の表情が気に入らない

 

と言った苦情やトラブルにも対処しなくてはいけません。

 

そうしたアルバムにかかる必要経費を人数割にすると、必然的に注文が少ないほど割高になるのです。ゆえに1学年が数百人のマンモス校はさておき、おおむね高額。

 

 

業者さんを交えて相談するのがベスト

 

島の写真館であるわが家の場合、娘が不登校ということもあり、できる限り柔軟に対応しています。例えば、個人写真撮影については、

 

・個人写真撮影は学校ではなく、お店に出向いてもらう

・お店に来られない場合、出張撮影もOK

・制服を着ることに抵抗がある場合、要望があれば合成も

 

お子さんの心の状態に応じて、どういった状況ならば撮影OKか?といったことを1番に考えています。

 

最近多いのが、

 

「デジタルだから簡単に合成できるでしょう?集合写真は欠席者枠(写真の右上に作る四角い枠)じゃなくて合成できるんじゃないですか?」

 

という相談です。このことに関しては、できなくはないけれど、できればしたくない。というのが本音です。

 

いちから創り出す画像とは違い、既存の画像に自然な形で、人間をはめ込むためには、撮影する際、はめ込みをするベストな立ち位置や天候、光のあたり具合、影の入り具合など、細かな条件を想定してそろえる必要があるからです。

 

想像する以上に大変な作業とご理解ください。その上で、料金の範囲内で合成しましょうか?と提案する、きとくな業者さんもおりますので、ご相談くださればと思います。

 

また、「休みがちだけれど、行事によっては参加できていたため購入したい」といった方には、

 

・参加できた行事の写真を多めに載せることで、アルバム全体に掲載される写真点数を調整する

 

といった対応もしています。

 

しかしこれも、少人数で子供たちの顔を見知っている島の学校と写真館であることからできる対応ですので、一般的ではないかもしれません。

 

しかし、まずは業者を交えての相談をしてみることをおすすめいたします。学校の先生の中には「みんなで」という思いが強い先生もいらっしゃることから、業者さんにできること、できないことを直接聞いてみるのも、ひとつの方法ではないでしょうか。

 

ちなみに業者である家に生まれたワシャ子は、親の手前もあり、アルバムに使う写真撮影や主だった行事には極力参加してくれています。

 

 

まとめ ぶっちゃけ、わが子の写っていない高額な卒業アルバムを購入する必要ある?

 

業者の私が言うのもなんですが、まったく学校へ向かえていない場合、購入の必要はないのでは?と思います。

 

買っていただけるとありがたくはありますが…

 

卒業アルバムを見て、悲しくなったり、虚しくなるくらいなら購入しなくても良いと個人に思います。目にすることで心身に影響が出てしまうことは、作製業者としても本意ではありません。その分、美味しいもの食べたり、元気が出ることにお金を使う方がよっぽど有効です。

 

撮影をどうする?

購入は ?

 

といった圧を、学校の先生から感じた方もいるかもしれません。アルバムの写真撮影は締め切りもあることから、長く待てない場合があります。

 

最高学年になる前に親子で話し合い、新学年が始まる時には購入予定を担任の先生にお伝えしておくと良いと思います。

 

購入しないことを選択した場合、

 

・個人写真のページ用の写真撮影をする(載せる)かどうか

 

・集合写真や行事ページに写っている場合、掲載を了承するかどうか

 

・卒業アルバムを配布する方法やタイミングをどうするか

(卒業式の後、ホームルームなどで配布することが多いため、式には出席したけれどアルバムは購入していないといった場合、配慮が必要なことがあります。)

 

といったことも合わせて相談しておきましょう。

 

高校卒業前に不登校になってしまい、アルバムを購入しないことを決めた子が、数年後に「アルバムが欲しい」と問い合わせてきたこともありました。

 

卒業アルバムには個人情報が詰まっているため、アルバムの在庫はないのですが、せっかく勇気を出して連絡してきたくれた彼女のため、お店保存用のアルバムを譲ったことがあります。 

 

理由をたずねたところ、

 

「卒業後に出会ったバンド仲間と学校の話になった時、自分の在籍していた学校を説明するのに困ったから。」(立地が島ということでインパクトが強いらしく、手っ取り早く写真を見せて言われることが多いらしい。)

 

とのことでした。

 

アルバムを開いて、懐かしく思ったり、喜んでくれると作製した側も嬉しいものです。

 

とはいえ、思い出は子供自身のもの。外野はとやかく言わないよう、業者さんは子供たちの判断を見守り、尊重したいと思います。

 

 

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